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「ファッション業界を再構築する」と語る小林社長の熱意

黄色ライン

今回は、サントラージュの創業者であり代表の小林に、創業の背景や会社の今、そしてこれからのサントラージュについて聞きました。

幼い頃から見てきた祖母と父の姿

ーそもそもファッション・繊維業界を志望したきっかけは何ですか?

私の家は祖母の代から服にまつわる仕事をしていました。

祖母は、大阪で戦後間もない頃から社交ダンスのドレスなどのオーダーメイドの服を作るような仕事をしていました。祖母の家に行くとミシンが十何台も並んでいて、たくさんの人が服を作っているいうような環境だったため、「服づくり」の世界に割と馴染みがありました。

父も大学を出てすぐに祖母の仕事を手伝い、かなり若い時に自分の会社を作りました。既製服の縫製工場を創業し、大阪と福井の工場を合わせて、200名を超える方が働いていました。大阪にある縫製工場の中でトップ5に入るほどの規模だったと思います。

当時としては革新的で、近所の熟練の方を集めるのではなく、基本新卒の方を採用してずっと工場を運営していました。縫製界の衰退の阻止や地位向上を目指して活動していて、毎年夏には西日本全域の被服科のある高校をまわって20~30名程度の学生の方を採用していました。

後に近所の縫製工場何件かと協力し、縫製学校を作りました。夕方までは工場で仕事をして、18時からは縫製を学術的に学ぶような学校です。

そんな人生をアパレルに費やす祖母と父の姿を見ていたので漠然と縁を感じ、就職活動のタイミングで洋服にまつわる会社を受け、縁があって興和に入社しました。
興和では自ら希望し、繊維事業の部署に配属されました。

ーそこからサントラージュを起業した理由を教えてください。

学生時代から父の会社を手伝っていて、漠然とものづくりには携わっていたものの、興和で実際に自分が営業としてアパレルのものづくりに携われるようになってから、より面白さを感じるようになっていきました。丸6年間業務に打ち込みましたが、父が会社を手伝ってほしいということで、退職を決意しました。

2002年に父の会社の東京事務所を設立し、自分が東京でやっていた仕事が順調に大きくなり、スタッフも5人ほどになったため、2004年に独立しました。

私はこの仕事を本当に夢のある仕事だと思っていて、デザイナーさんの頭の中にある漠然としたイメージが2~3か月後に形になって、それこそ街中でその服を着ている人が歩いているんです。

デザイナーさんは良い服を作ってその先のお客様に喜んでもらおうという熱意を持っていて、工場は工場で一生懸命良い商品を納期を守って作っています。前職の興和のように大規模な商社ではないものの、それを超える熱量を持っている人と組んでやっていきたいという想いでした。いまも根本の想いは変わりません。

-サントラージュの社名の由来を教えてください!

祖母の会社も父の会社も、社名がフランス語だったので、フランス語縛りで決めました。主役は私たちではなく、デザイナーさんの『こういう服を作りたい』という想いを支える立場でありたいと考え、サッカーの「センタリングする」という意味を込めて「サントラージュ」という社名を付けました。

2000年代~ 109系ブランドブームとともに事業成長

2002年から、109系ブームを牽引されていたアパレルメーカーさんとのお仕事をスタートしました。同社は当時の109系ブームを牽引する人気ブランドを多数展開し、109のビル全体のブランディングにも貢献されていたアパレルメーカーさんで、非常に多くの発注をいただきました。

109系ブームの成長とともに、サントラ―ジュも成長していった、という印象です。「可愛い商品」を「きっちり納期にあげること」が重要でしたね。大変でしたが、すごくやりがいがありました。自分たちが作った商品が、多数の雑誌に載ったり、芸能人の方が着用してテレビに出てくれたり、すごく楽しかったです。それがやっぱり原体験になっています。

2010年代~ 新規顧客への取引拡大

その後、2007年秋のリーマンショックとH&MやForever21などのファストファッションの台頭が重なり、109系ブランドのブームが落ち込んでいきました。衝撃的なロープライスの商品を大量の品番数で展開するファストファッションには、なかなか敵わない部分がありました。当時メインクライアントだったお客様が次々と苦戦し、サントラ―ジュの売上も70%ほど減ってしまい、色々な方から「大丈夫か!?」と電話が掛かってきましたね。(笑)

ですが、リスク分散のためにクライアントを一気に拡げ、これまでお取引のなかったカジュアル系ブランドともお取引をスタートさせていた時期でもありました。結果的に、その後多数のカジュアルブランドが全国的にヒットしていき、私たちも新たなブームに合わせて事業を拡大することができました。

-その後トレンドになるようなクライアントと取引できる秘訣って何ですか?

「クライアントへの熱意」、「やりきりたいという想い」この2つが大きいかと思います。これまでに知り合った方との関係をとても大事にしてきました。109系ブームが鈍化した後も、新たなブランドに移った方とこれまでの関係性の中で取引がスタートできたり、これまでのつながりで紹介していただいたり、助けてもらえる関係性を構築できていたことは大きいと思います。

そしてガッツ。(笑) とにかく折れない心が、私と部長の平山にはあって、みんなが登れない山があっても、「登るしかない、自分たちなら出来る」みたいなノリがあったり、売上をあげるために柔軟に舵を切ったりしてきました。

あとは、2000年代の多くの依頼に対してすごいスピードで対応できる体制を構築していたため、余力がある状況で新規の注文に対し素早く対応できていました。その後、一気に10数社ものお客様との取引を開始でき、2011年以降は増収増益を続けています。

サントラージュで働く面白さとは

-ファッション業界は再び過渡期にありますが、今後の方向性を教えてください。

2010年からお取引先を拡げて、売上拡大を図ってきましたが、直近2年ほどでまたファッション業界は大きく変わってきました。2018年に大手ラグジュアリーブランドが売れ残った商品を廃棄していたなど、業界として大量廃棄している問題が明るみになりました。大量生産大量消費の時代から、サステナビリティが世界的にトレンドになり潮目が大きく変わりました。

また業界内の勝ち組、負け組が明確になり、大手集中が生じている中で、近年私たちはD2C業態のブランドとのお取引も沢山スタートしました。

いま、ようやく時代が戻ってきている感覚があります。「私のブランドを作りたい」という方がInstagramなどにたくさんいらっしゃいますからね。

商品づくりの実力を保ったり、トレンドの素材をキャッチしたりするためにも大手アパレルメーカーとのお取引は非常に重要です。その一方で、D2C系の小規模ブランドのお客様とのお取引を増やすことは
会社としてやりたいことに繋がるだけでなく、経営リスクの軽減やメンバーが活躍する場の拡大にも繋がってきています。

非アパレル系の会社への展開も進めているので、スポーツやアニメに詳しいという能力が途端に武器になります。昨年プロ野球球団のタオルを作らせていただきましたが、担当者が熱意ある企画書を持って営業したことがきっかけでお取引をスタートすることができました。

-最後までご覧いただきありがとうございました!

サントラージュはこれからも、より良い服作りに取り組んでまいります。
興味を持ってくださった方は、是非お問い合わせください。